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服従訓練の「服従」という言葉に抵抗を感じる方も多い事と思います。
「無理強い」といったひびきや、この言葉が連想させる「軍隊的」なものがあるからでしょう。
そうした方は、まず、「共同生活訓練」と、言葉を置き換えてみて下さい。共同生活ですから、最も大切な事は、相手をお互いに理解する事です。ここで皆さんがきちんとしなければいけない事は、犬を良く知る事と同時に、自らが、犬から見て理解しやすい相手になる事です。
これについてはいずれ述べますが、簡単なようでなかなか難しい事なのです。
ここでは「無理強い」について考えてみましょう。最近よく耳にする言葉に、マインド・コントロールという語があります。オウム教事件のような極端な例は別にしても、それ自体は、国家、会社を問わず、広く一般社会において、行われているのです。ある人にとってはごく当り前の事が、別の人から見れば全く考えられない事といった、いわゆる「常識の違い」は、その人の置かれた環境の違いに因って生じます。比較の対象を持たない限り、自分の置かれた環境が、当り前になるのです。つまり、その効果を最大にするには、外部情報を遮断する事にあります。
犬の訓練を考える時、この事は非常に重大です。なぜなら人間が意図的に情報の遮断を行なうまでもなく、犬は外部情報を仕入れるという事はしないからです。犬は、本で読んだりテレビで見たり、友達の話しを聞いて羨ましがったりなどはしません。自分の置かれている世界が、その犬の知る全ての世界なのです。だからといって、劣悪な環境で育てて良いと言っているのではありません。すなわち、育てる環境や、飼い主との関わり、そうした毎日の生活の全てが、その犬の思考や感情をコントロールするのだという、飼い主の責任の大きさをむしろ言いたいのです。「人との共同生活を送る上で必要なルールを守る事」が、犬にとって、「無理強いされる苦痛」であるか、「ごく自然な当り前の事」であるかは、『犬に、何を好きにさせるか』という、飼い主の行なうマインド・コントロール次第なのです。私達、人間においても、従順に規則を遵守する者もいれば、規則は破る為にあるといってはばからない人もいます。また、同じ規則のもとに暮らしていても、その規則を、己の行動を制約する煩わしいものと感じる人もいれば、そんなことは、規則で決めなくても当たり前だと思う人もいます。同じに守らなければならないルールであるならば、強制されて嫌々それに従う犬に育てるのと、当然の事と受け止めて進んでそれを守る犬に育てるのとで、どちらが愛情のある飼い主だと考えますか?そもそも、犬の自らの意思というのは、ほとんどにおいて、本能ではなく、授乳期、離乳期といった、本人にすれば、まだ何もわからない時期、及び、その後のいわゆるものごころのつくかつかないかといった時期に受ける環境によって形成されるのです。そしてその後の環境を作り出すのは、犬を家庭に迎えいれたあなたなのです。「考えてみるまでもなく、当然にそうすべきことだと思っていた。」相手にそう思わせるまでに教え込むことこそがしつけだと思います。そのためには、物心つく前の時期が、最も大切なのです。その時期は、親の愛情を受けるためであれば、善悪などかまわず親の全てを受け入れるのです。極端な話、借金に追われ、転々としていようが、親が、大泥棒だろうが、殺人者であろうが、子どもにとっては、無条件に、うちのお父さんが、うちのお母さんが、世界一なのです。この時期、子どもは、依存心100%、自立心0%なのです。成長につれこの比率は次第に逆転していきます。環境が、犬をつくります。その、環境をつくるのは、飼い主です。
犬を育てる上で、「犬に何を好きにさせるか」こそが大切なのです。例えば、服従訓練の代表のように言われる脚側行進という科目についても、『飼い主の傍についていれば、安心だし、楽しいんだ』犬にそう思わせるように育ててあげれば、なにも無理強いではないのです。あなたを大好きであれば、一緒に歩く事はとても楽しい事であり、あなたに頼りがいを感じていれば、黙っていてもあなたに合わせてついてくるのです。ところが、ちっとも犬と遊んでもあげないで、飼い主の傍にいる事そのものを嫌がるように育てておいてから、訓練の科目として教えるから、無理強いする羽目になるのです。散歩といえば、あちこちに行きたがる犬を、紐で縛りつけて引き回すような、まるで、看守が捕虜を運動のために連れ出しているような、そんな、犬と飼い主との関係しか築いていないから訓練が、捕虜にさせる強制労働のようにしか感じられなくなってしまうのです。つまり、愛犬を育てる上で最も大切な、「犬との良い関係を築くこと」をおざなりにしているから、訓練が、無理強いする結果になるのです犬の持つ本能や習性を充分理解した上で、いかに『いい意味での、マインド・コントロールをして行くか』が、大切なのです。もっとわかりやすい例で言えば、櫛をかけるなどの手入れがあります。手入れは、お洒落のためにするのではありません。犬の健康維持のためには不可欠なことなのに、案外、怠っている人が多いのです。街中で、「かわいそうに。散歩に行く時間があるのなら、少しは毛を抜いてあげればいいのに」と思う様な犬を連れている飼い主すら多く見かけます。その飼い主に言わせれば、きっと「犬は、散歩は喜んで行きたがるが、手入れは嫌がってやらせたがらないから、かわいそう」と言うのでしょう。
仔犬時代、犬の毛がもつれるまで放っておいて、やおら、櫛をかけて痛い思いをさせ、犬に、「手入れは嫌なものだ」と思わせてしまうと、手入れの度に犬に無理強いをする結果になります。ところが、上手に扱ってあげれば、犬は本来、心地よい毛づくろいである手入れを喜ぶようになるはずなのです。同じ、櫛をかけるという行為をとって見ても、犬にそれを好きにさせるか、嫌いにさせるかの違いで、快い楽しみにもなれば、無理強いする羽目にもなってしまうのです。事柄によってのほかに、同じ事柄でも、相手によって、受ける感情は大きく異なります。私たちにしても、大好きな人に言われた用事は、苦でもなく喜んでするけれども、嫌いな上司に言われた用事は、嫌々する、そんなことはありませんか?同じ用事をするのにも、無理強いと感じることもあるし、そうでないこともあるのです。また、好きな人になでられるのと、嫌いな人になでられるのでは、その反応は、全く違うはずです。
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